act1.

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 窓からの暖かな日差しが栗色の髪に反射して、穏やかな寝息を立てる彼女の周りに淡い光の幕を作っている。その光景を目にして、僕は思わず落としそうになった本を握り直した。
 彼女を起こさないように、足音を忍ばせて近付く。何も知らずに眠り続ける彼女の耳元に口を寄せ――
「お師様! 起きてくださいっ!」
 げしっ。
 持っていた本を師匠の頭に振り下ろした。
「――っ! 何するんじゃっ!」
 どすっ。
 目を覚ました師匠が魔法で召喚した十トンハンマーが僕の頭に炸裂する。鼻先までつーんと痛みがはしって、僕は涙目になって頭を押さえた。
「何するんですか、お師様。痛いじゃないですか」
 ちょっと千ページほどのハードカバー本で殴られたからって、この報復はやりすぎだ。
「それはこっちのセリフじゃ。――で、ラマ。何の用だい? つまらん用だったら、反省室送りじゃぞ」
 険悪な形相で告げてくる師匠に、慌てて本を差し出す。反省室――その実態は極寒の亜空間結界なのだが――送りだけは、御免こうむりたい。以前三日間放りこまれた時は、冗談ではなく死にかけたし。
「この本の六〇三ページ……ここ、読んでみて下さい」
「うむ?」
 割と興味を持った様子で本を読み進める師匠を見て、僕はこっそりと安堵の溜息を吐いた。

 紹介が遅れたけど、僕の名前はラマ・シティ・トランスリーフ。メラク王国の王立魔道研究所の講師をしている。ちなみに、目の前で本を読んでいる栗色の髪のババァ――もとい、栗色の髪の老婦人は、研究所の所長のゲンカー・レイ・トルグル。土の大魔道士(ウィザード)の称号を持ち、ついでに僕の直接の師匠だったりもする。
 この『土の』とかいうのは何かというと、魔道士が操る術の属性に起因する区分のことである。
 これは、世界は四つの元素によって成り立っている、という考え方が基になっている。その四大元素というのは、火・風・水・土の四つのことだ。その考え方によると、世界は四つの層から成り立っていて、それぞれを上から順に火・風・水・土が支配しているのだという。そして、僕たちが生活しているのは主に下二層だとされる。
 まあ、ここまでは人間が大地を耕して、作物に水をやって農耕をし、またそうやって育った植物を家畜に与えて食糧を得ていることを考えればすぐに理解できる話なのだが。
 厄介なのは、この四つの層は、一万年周期で入れ替わる、とされていることだ。これは、大昔に居住空間が氷と風に支配されていた痕跡が発見されたことから生まれた考えで、その当時は、世界は上から順に土・火・風・水の層で成り立っていた、ということになるらしい。――まあ、真偽は定かではないけど。とにかくこの考え方だと、将来、四つの層は循環して風・水・土・火の順になる、ということになる。
 ……それがどんな世界なのか、正確に予測できる人は誰もいないし、そんな先のことを心配しても仕方がないと思うけどね。
 とまあ、こういうわけで、僕たち魔道士は火・風・水・土の四つに分類される。もちろん、それぞれ一つの元素を扱う魔法を使うわけだけど、それぞれの大元素には一つずつ付属元素というものが付いている。光・雷・氷・闇がそれで、光は火に、雷は風に、という風に付属している。魔道士は自分の属性の大元素と、それに付属する元素の魔法を使用できるわけだ。 ちなみに、僕は水の魔道士だから水と氷、ゲンカー師匠なら土と闇の魔法が使える、といった具合だ。 また、魔道士と同じように魔法を扱える人間に、僧侶というものがある。彼らは四大元素の力の象徴とされるそれぞれの宝珠(オーブ)を崇めている。ただし、現在所在の知れている宝珠(オーブ)はミザール聖王国にある火の宝珠(オーブ)のみだから、実際には火の僧侶しか存在しない。そして、魔法を聖なる力として扱う僧侶たちは、魔法を研究する魔道士たちに良い印象を持っていないらしい。これは大抵の魔道士たちにしても同じことで、せっかく使える力をただ神聖視するだけでろくに高めようともしない僧侶たちを馬鹿にしている節もある。――馬鹿らしいと思うけどね、どっちも。

 「――ふむ。泪硝石(るいしょうせき)か」
 師匠の呟きに、僕の意識は現実に引き戻された。
「ええ。ミザール聖王国に伝わる幻の魔法石です。手に入れた者に絶対の幸運をもたらすという……」
 さっき僕が渡した本は、ミザール聖王国の伝承について書かれたものだ。師匠は再び本に視線を落とし、その一節を読み上げ始めた。
「『数多(あまた)ある 闇の翼の対なる魂
 引かれて(まみ)ゆる 金色(こんじき)の夜 天の(いただき)
 流れ落つ 乙女の涙は 地にも()まず 虹の彩り 月の輝き
 奇跡の石を手にする者 汝に妙なる幸あらんことを』
 ――これが、泪硝石(るいしょうせき)ができる過程を示していると?」
「ええ。他に何か思い当たることでもありますか?」
 僕の言葉に師匠はしばし何か考え込むように沈黙したが、結局ゆっくりと首を横に振った。そのまま、本を閉じてこちらに差し出す。
「まあ、そういうことにしておくかの。
 しかし……お前が泪硝石(るいしょうせき)なんぞという御守りに頼るとは……」
「もー……」
 本を受け取りながら、僕は大げさに眉をしかめてみせた。
「そんなケチなこと、考えてませんよ」
「?」
泪硝石(るいしょうせき)といえば! かの『賢者の石』に勝るとも劣らぬ超稀少アイテム!!
 手に入れたら、即座に分析・複製して! 売って売って売りまくる!!」
 『何のために生きるか、それは金のため』を生活信条とする僕にとっては、泪硝石(るいしょうせき)はいわば金のなる木である。――いや、大富豪への道の敷石、といったところか。
「お前の方がケチじゃあぁふわぁ……」
 握りこぶしを作って力説する僕の目の前で、師匠は盛大に欠伸をする。語尾を不明瞭にしたまま再び眠ろうとする師匠に、僕は闇色の殺気をあたりに漂わせ、鎌など手にして目を光らせてみる。
「お師様~? 聞いてる~?」
「お――おおっ! もちろんじゃっ!」
 慌てて椅子の上で姿勢を正す師匠に、にっこりと笑いかける。
「というわけで、しばらく休暇をもらいますね。 じゃあ、行ってきます」
 僕は、愛用の緑のケール(帽子に長い布の付いたようなもの、とでも思っておいてください)の裾を翻して、所長室を後にした。

 目的が決まったら、行動は迅速に。
 ケールの裾と赤い髪をなびかせるように廊下を進む僕には、いつものことながら多数の視線が注がれている。無論、生徒の――女生徒の視線であることは言うまでもない。
 僕が言わなくてもそのうち誰か言ってくれるだろうから自分で言うが。僕は当研究所一の人気講師だ。
 まあ、当然だろう。顔良し、スタイル良し、背は高い、おまけに生徒には優しい、と来れば――ああ、ついでに魔法の腕は超一流、しかも若い! というわけだから、人気が出ないわけがない。
「ラマ先生!」
 現に――ほら。
 かけられた声に振りかえると、五、六人の生徒(しつこいようだが、全員女生徒だ) がこちらを見上げている。
 人が急いでいるときに……。
「ん? 何かな?」
 それでも笑顔で対応する。生徒たちはたっぷり十秒、互いに視線を交わし(人が急いでいるときに)、
「あのー。イテュルギ先生の講義なんですけどー、ちょっと分からないことがあってー」
 そのうちの一人が、やたらと時間がかかる、鬱陶しい喋り方で切り出し、隣の生徒に視線を送る。次いで、その視線を受けた生徒が口を開いた。
「やっぱりラマ先生の方が分かりやすくってー」
 彼女がまた隣に……。
 この辺が我慢の限界なので、僕は口を挟んだ。
「――えーと、今でないと、ダメかな?」
「えー。そんなことないけどー」
「じゃあ、明日――いや、明後日に、僕の研究室まで来てくれるかな?
 明後日なら、いくらでも時間が取れるから」
 にこやかにそう言うと、彼女らの間で歓声が上がる。
「それじゃ、明後日にね」
 そのころには、僕は旅に出てるけどね。
 僕は笑顔を保ったままで手を振り、その場を後にした。

 目的が決まったら、行動は迅速に。
 旅の準備も然り。
「えーっと、炎石、氷石、ヒリィ石。聖水と――」
 僕はとにかく急いで荷物をまとめていた。
 とにかくさっさと準備をしなければならない。なぜなら――
 ぱたぱたぱた……
「げっ」
 耳に入ってきた足音に、思わず硬直する。
 思った通り。足音は僕の背後で止まり――
「先生っ! 旅に出るんですかっ!?」
 元気の良い声が背後に響き――僕は、観念して振り返った。
「ターン……。どこで仕入れた? そんな情報……」
 やたらと機嫌の良い顔でこちらを見上げているのは、やや青みがかった銀髪の、十七歳ほどの(いや、実際十七歳だが)少女である。風の魔道士で、この研究所の研究生のポストにある。そして――僕の弟子だ。
 僕だって、好きで弟子をとっているわけではない。研究所の講師以上の魔道士の義務なのだ。仕方ない。
「ええと、さっき生徒さんたちが『明後日ラマ先生のところに呼ばれてるのー』って騒いでたから、先生は明後日には出かけるんだと思って」
「うっ」
 まあ、僕の弟子だけあって、ターンはそれなりに僕の行動パターンが読めるようだ。
「もちろん、わたしも連れてってくれるんですよねー?」
 こうやって、僕の旅に付いて来ようとさえしなければ、けっこう良い弟子なんだが……。
「――ターン。それはダメだよ」
 溜息混じりに、僕は説得を開始する。――そういえば、これまでターンの説得に成功したためしがないような気もするけど……。
「今回は危険なんだ。自分の弟子を、危ない目に合わせるわけにはいかないよ」
「何言ってるんですか。危なくなったらわたしを盾にして逃げるくせにー」
「……」
 なら、付いて来ようとするなよ!
「……そういうことも、あったかもしれない」
「いつもです」
「……」
「それに、わたしがいなかったら、先生どうやってご飯食べるつもりですか~?」
「――うっ」
 一応、僕の名誉のために説明を入れるが、別に毎食『はい、先生。あ~ん』『いつもすまないね。あ~ん』――なんてことをやっているわけではない。無論、きっぱりとやりたいとも思わない。単に、僕が少々料理が苦手なだけだ。少々。その点、ターンは本職の料理人並みの料理の腕を持っている。
「けど……」
 さらに言い募ろうと僕は口を開き――思い直した。
 置いていった所で、ババァに何をちくられるか分かったもんじゃない。
 ……まあ、僕もいろいろと隠し事があるわけで。
「――うん、まあいいか」
 僕の呟きで、元から機嫌の良さそうだったターンの顔がさらに明るくなる。
「じゃあ、さっさと準備して来るんだ。遅くなったら置いていくぞ!」
「――待っててくださいねっ!」
 ターンは部屋を飛び出して行きかけ――戸口で振り返った。
「――で、何処へ行くんですか?」
「うん? 最終的には、ミザールまでだ」
「はーい! 分かりましたっ!」
 再び身を翻して駆け去るターンを見送って、僕は一人、口元に笑みを浮かべた。
「まあ、邪魔になればその辺に置き去りにして来ればいいわけだし……」
 僕って、悪人――かなぁ……?